プレゼント

ギネス記録ってけっこう好き。

 

ところで話は変わるが、プレゼントというものがあるだろう。プレゼントには2種類の登場人物がいて、贈る人間と贈られる人間がいる。

 

常々考えていることがあって、あれは贈る人間のほうが嬉しいということだ。

 

贈る人間のほうは、選べる、散財できる、感謝を期待できる、何ならちょっとしたマウントまで取れると結構メリットが多い。

 

それに比べて贈られる方は、少なくとも贈られる人間あるいは贈られる物のいずれかが満足するものじゃないと、それはあまりうれしくない可能性が高い。

 

ところで千羽鶴というものがある。例えばそれは被災地で苦労している人を勇気付けると言われている。人はせっせと鶴を折り、それを大量につなげて被災地に送る。

 

不謹慎なことを言ってしまうが、あれこそ贈るほうと贈られるほうのバランスが釣り合ってない最たるものだと思ってしまう。残念ながら千羽鶴で腹は膨れないし、暖かくして寝ることもできない。壊れた家屋は直らない。迂闊に捨てることもできない。

 

しかしこの前テレビでやっていたのだが、千羽鶴をめちゃくちゃ大量につなげて、その長さが世界一となり、ギネス認定されたらしい。

 

そうとなったら話は別である。何と言っても世界一はどんなものでもスゴい。しかもギネスのお墨付きなら一生自慢できる、一生誇りにできるといっても過言じゃないだろう。

 

一見ムダと思うものでも一気に光を帯びる、世界一の称号。

 

むしろギネスはムダなものにほど付けてほしい。疎まれるものの一発逆転劇が痛快なのである。